菩提寺地区変遷

・航空写真で見る地区別変遷 (1950年以降)

1. サイドタウン地区の変遷
2. 菩提寺北・東・西地区、近江台地区の変遷
3. 旧菩提寺・北山台地区の変遷

・地図で見る滋賀県湖南市菩提寺地区の変遷 (1921年まで)

1570年(元亀元年)以前の菩提寺地区

菩提寺地区の遺跡 (遺跡所在地を「1990年」の地図に記載したもの)
出展: 甲西町内遺跡詳細分布調査報告書1990.3 甲西町教育委員会

31: 竜王山古墳群(円墳5基横穴式石室、古墳時代後期/6世紀頃)
32: 少菩提寺遺跡(良弁天平3年/731年創建-1570年廃寺)
石造閻魔像 銘924年(延長2年)
石造多宝塔(普会塔) 銘1241年(仁治2年)
八王子神社 石造灯籠 銘1365年(貞治4年)
阿彌陀院 関ケ原役後創立 地蔵尊 銘1519年(永正16年)
菩提禅寺1723年創立 石地蔵 銘1519年(永正16年)
33: 谷城跡
1468年(応仁2年)に谷口籐兵衛(後に谷と改名)によって築かれた。甲賀郡誌では、六角氏の近習である谷武兵衛兼修の居城と記されているが、詳細不明。落城1572年(元亀2年)
34: 山の神古墳群(円墳2基横穴式石室、伝坂上古墓727-786)
35: 青木館跡
36: 菩提寺城跡(青木氏居城)
青木筑後守が1487-1489年に築城、豊臣秀吉による1585年領地没収により廃城
3132の遺跡の間に、寺屋敷古墳群(3基)が存在する(出展: 甲賀郡志)

周辺の寺院
708年頃(和銅元年)良弁により常楽寺(西寺)開基(パンフレットデジタルアーカイブを見る)
710年頃(和銅年間)善水寺が和銅寺として草創(パンフレット1パンフレット2)
731年(天平3年)良弁により少菩提寺創建
733年(天平5年)良弁により金勝寺創建(パンフレット)
729-748年(天平年間)良弁により長寿寺(東寺)建立(パンフレット1パンフレット2デジタルアーカイブを見る)
788年(延暦7年)最澄が比叡山開創

出展
甲賀郡志1971 滋賀県甲賀郡教育会
滋賀県中世城郭分布調査2(甲賀の城)1984.3 滋賀県教育委員会
甲西の遺跡1988.3 甲西町教育委員会
甲西町内遺跡詳細分布調査報告書1990.3 甲西町教育委員会
鈴木儀平の菩提寺歴史散歩 儀平塾編

1701年(元禄14年)の菩提寺地区

出展: 元禄国絵図近江国 (国立公文書館デジタルアーカイブ)
https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000221
(滋賀県立図書館近江デジタル歴史街道)
https://www.shiga-pref-library.jp/wo/da/porta?contents_id=0500584
国立公文書館解説概要

江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの絵図等が作成された。このうちの元禄国絵図は、元禄9年(1696)その作成が命じられ、同15年(1702)までにほぼ全国の分が完成したといわれている。1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)。原図サイズ:東西343cmx 南北516cm。
県立図書館解説概要
幕府所蔵の正保の近江国絵図をもとに作成された。
このとき、膳所藩本多家と水口藩鳥居家、彦根藩井伊家が幕府の命を受けて、近江国12郡をそれぞれ担当して、新田・村落名の変更、各河川の川筋などの変化について現地調査にあたり、作成された。近江国12郡の郡界を太黒線で示し、村落は郡別に色分けされている。東海道・中山道など朱線で示された街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚(一里を六寸(約3.9kmを約18cm))の表示。

1742年(寛保2年)の菩提寺地区

出展: 近江国細見図(西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース)
 https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2321315100/2321315100100010/903-162-00-01/
(滋賀県立図書館近江デジタル歴史街道) https://www.shiga-pref-library.jp/wo/da/porta?contents_id=0500761
元禄の国絵図が作成後約50年の寛保2年(1742年)に作成された一般に販売されていた木版刷りの絵図の1つ。江戸幕府が作成した国絵図のミニチュア版にあたる絵図。黒太線は郡界

この時期の出来事(出展: 鈴木儀平の菩提寺の歴史散歩)
1765年(明和2年)八王子村と石林村が山崩れにより埋まる。
1767年(明和4年)八王子神社、和田神社が現在地に正遷座する。
1824年(文政7年)出展:近江国大絵図(西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース)  https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2321315100/2321315100100010/903-134-00-01/

南龍王順/椿井権之輔正隆(1770-1837年)画「円満山少菩提寺四至封疆之絵図」

西應寺(永正17年/1520年建立)所蔵 「円満山少菩提寺四至封疆之絵図」 興福寺官務家の明応元年(1492年)作成の古図を南龍王順(椿井正隆)が模写したことになっているが、本図は、江戸時代生まれの椿井正隆が依頼者を忖度しつつ、当時の菩提寺の現況を鑑み、オリジナルに描いたものと推察される。

少菩提寺に関連した出来事(出展: 鈴木儀平の菩提寺の歴史散歩)
731年(天平3年)良弁により少菩提寺創建

1482年(文明14年)正念寺: 乾五郎左衛門尉秀盛が本願寺蓮如に帰依し、東光坊跡地に正念寺開基。
1520年(永正17年)西應寺(パンフレット参照): 禅祥坊義全が本願寺実如に帰依し、禅祥坊専源と改め西応寺建立。
1523年(大永3年)金勝寺衆徒と伊勢大路で合戦。
1570年(元亀元年)少菩提寺は六角義賢・義治父子との戦いにより灰燼に帰す。
1600年(慶長5年)頃 阿弥陀院: 院の焼失後、住僧玄達は還俗したが、関ケ原合戦後、その子武部実次が発心して浄土宗に帰依、現在地に転地再建。
1723年(享保8年)菩提禅寺: 寂門道律により阿弥陀院跡地にある妙蓮華院を基にして開基。初めは正禅庵と称す。

1800年頃の菩提寺地区

出展: 甲賀郡絵図/内務部第6課地理掛書類編冊(近江国各郡町村絵図)(滋賀県立図書館近江デジタル歴史街道) https://www.shiga-pref-library.jp/wo/da/porta?contents_id=0500008
この絵図には、中心部に野洲川が流れ、水口城を中心に甲賀郡内の村々の名称、主要街道・一里塚などが描かれ、江戸時代の様子がよくわかる貴重な資料である。黒太線は郡界を示す。

1821年(文政4年)頃の伊能忠敬図 出展 国土地理院ウェブサイト

1837年(天保8年)の菩提寺地区

出展: 天保国絵図近江国 (国立公文書館デジタルアーカイブ)
https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000278

(滋賀県立図書館近江デジタル歴史街道)
https://www.shiga-pref-library.jp/wo/da/porta?contents_id=0500099
国立公文書館解説概要
江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの絵図等が作成された。 このうち天保国絵図は、天保6年(1835)その作成が命じられ、同9年(1838年)に完成した。縮率・描法等は元禄図と同様、1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)で、赤線の街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚を表す。郡別に色分けされた楕円形の枠内(野洲郡: 青緑、甲賀郡: 灰青、蒲生郡: 黄)には村名と石高が、白四角で示された城下町には地名と城主の名前が記されている。 原図サイズ:東西337cm×南北511cm。
県立図書館解説概要
徳川幕府が諸国に命じた天保8年作成の国絵図のうちの近江国絵図。
正保2(1645)年に近江国古御絵図が作成されてから、2世紀のちの近江国の姿。
このとき、膳所藩本多家と水口藩加藤家が幕府の命を受けて、近江国12郡をそれぞれ担当して、新田・村落名の変更、各河川の川筋などの変化について現地調査にあたり、作成された。郡界は太黒線で示されている。朱線が街道で、東海道・中山道などには、一里を六寸(約3.9㎞を約18cm)とする一里塚(街道を挟む黒丸)が示されている。

この時期の出来事(出展: 鈴木儀平の菩提寺の歴史散歩)
1860年(万延元年)稲荷神社が現在地に遷座する。

1870年(明治3年)の地図 出展 国土地理院ウェブサイト 官板実測日本地図

1880年(明治13年)の菩提寺地区

出展: 新撰滋賀県管内全図(滋賀県立図書館近江デジタル歴史街道)  https://www.shiga-pref-library.jp/wo/da/porta?contents_id=0501362
明治9年(1876)8月、滋賀県に旧越前国敦賀郡と若狭国大飯・遠敷・三方3郡が編入された。のち明治14年(1881)2月には、これら4郡は滋賀県から分離された。この図は、分離する前年に発行されたものである。
右図の赤い四角で囲まれた「石部」は東海道の宿場であることを示している。
赤く塗られた波線は郡界を示す。

この時期の出来事(出展: 鈴木儀平の菩提寺の歴史散歩)
1884年(明治17年)村内に散在している墓地を整理し、字膳所ケ崎の共同墓地(現在地)に移す。
1885年(明治18年)菩提寺村、正福寺村、岩根村、朝国村が合併し、岩根村となる。

1900年(明治33年)の菩提寺地区

出展: 滋賀県管内全図(西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース)  https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2321315100/2321315100100010/902-115-00-15/
滋賀県管内全図「明治卅三年訂正再版」。明治28年3月印刷・発行、明治33年1月第五版・訂正
滋賀県の銅版地図。縮尺19万分の1。淡彩色刷の郡別色分けあり。別図「滋賀県管内里程図」及び大津町図あり。裏面に里程一覧表と、文章で記された総論と各郡の巡覧案内あり。破線は郡界を示す。

この時期の出来事
1908年(明治41年)中郡橋(木製)が架設される。

1920年(大正9年)の菩提寺地区

出展: 八幡 / 大日本帝國陸地測量部 (国際日本文化研究センター所蔵) https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=001911221
縮尺: 50000分1地形図 明治25年測圖、
大正9年修正測圖 / 大正14年1月25日印刷、同1月30日發行

1921年(大正10年)の菩提寺地区

出展:滋賀縣管内全圖(国際日本文化研究センター所蔵)  https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002455434
縮尺: 滋賀縣管内全圖1:150000, 大津市1:20000, 彦根町1:24000, 八幡町1:20000, 長濱町1:20000

この時期の出来事
1936年(昭和11年)鉄筋コンクリート製中郡橋が完成。

1950年以降 航空写真で見る地区別変遷

1. サイドタウン地区の変遷
2. 菩提寺北・東・西地区、近江台地区の変遷
3. 旧菩提寺・北山台地区の変遷